インドの2等列車で・・

インド

2002年 インド・チェンナイ

インドにニューデリーから入ってアグラ・ジャイプルなどを回り、ヴァラナシを経て南インド(チェンナイ)行きの電車に乗りました。
現地人に頼んで1等車のチケットを取ってもらったのですが、1等車の乗り込み時間に遅れて車両のシャッターが閉まってしまい、仕方なく2等車に乗り込みました。
山手線の車両をグッと古くしたような内装の車両で、荷物も個人管理でした。
車中で日本人女性と知り合い、他に乗っていたインド人なども交えて話したりしていたのですが、夜も遅くなったので別れました。
また、インドの大学院で経済を勉強している、というインド人とも出会い、とりとめのない話をして別れ、車両の座席は全部塞がっていたので連結部の椅子で寝ることにしました。
隣ではインド人の老人が毛布にくるまって寝ています。
連結部なので風が吹き込んできてかなり寒かったので、日本で着ていたジャケットを羽織って寝落ちました。
次の朝、目を覚ますと足元に置いておいたボストンバッグが丸々なくなっていました。
しばらく血眼になって探し、「盗まれた」と気づくのにかなり時間がかかりました。
その時は精神状態もかなり危なく、目眩がして数時間寝込みました。
乗務員を探し出して事情を伝えましたが、「お前の責任だ。当方は関係ない」とにべもなく突き返され、チェンナイに着いたところで日本領事館に駆け込み、日本にいる父と連絡を取って帰国便の手配をしてもらいました。
危ない、と言うよりは間抜けな話ですが、こんな目に遭ったのは私だけではないと思います。

ケアンズで空き巣未遂・・

オーストラリア

2010年 オーストラリア・ケアンズ

オーストラリアのワーキングホリデーでケアンズに滞在していた時の出来事です。
ケアンズは、観光地でありながら田舎ののんびりした雰囲気を残している街であり、親日家の人も多いことで有名なのでほとんどの方が危険を感じることなく生活が出来ていると思います。
私も、日本と変わらず安全に生活できるケアンズに不安を感じることなく生活をしていました。非常に慎重派の私は、夜中の一人歩きをしないなど、気を付けていた方だと思います。
シェアハウスで生活していたのですが、その日はみんな仕事で留守で、家にいたのは私一人でした。
雨の日で、日中でも薄暗い天気でした。
表と裏にドアがあるのですが、裏の勝手口の方から何やらがさごそと音が聞こえてくるのです。
最初は気のせいかなと思っていたのですが、音が次第に大きくなり、怖くなった私は、その勝手口の外側を見ることが出来る窓の所へ行き、何が起こっているかと除いてみると、20代~30代の体格の良い男性が、一生懸命バールのようなものでドアを壊して開けようとしていました。
このまま作業を続けられたら、絶対に入られてしまうと思った私は、中に人がいるということをその男性にわからせるために、大きな声で話始めました。
その声を聞いた途端、ガタガタというドアを壊すような音はなくなり、その後確認してみると、その男性はいなくなっていました。
もし、私が声を出さなかったら居直り強盗になり、私の身に何かあったかもしれないと思うとぞっとせずにはいられませんでした。

バンクーバーで乱闘騒ぎ

カナダ

2001年 カナダ・バンクーバー

大学時代に夏休みを利用して、カナダのバンクーバーへ短期の留学をした時に、少し危険な出来事を経験しました。
現地で通っていた語学学校の生徒さん達と一緒に、夜に花火大会へ出掛けた帰りに、目の前で乱闘事件がありました。
男性がお互いに殴り合い、血まで流し合っていたくらいで、とても怖い経験をしました。
カナダは海外でも珍しく、銃の所持などが禁止されており、比較的治安の良い国で有名ですが、実はカナダとアメリカの国境は、比較的緩やかに行き来できる状態で、取り締まりもそれほど厳しくなく、銃を所持している人がいてもおかしくないと、後から人から聞いて驚きました。
もしあの乱闘事件の時に、銃を所持している人がいたらと思ったら、とてもゾッとしました。
目の前で殴り合いがあっただけでも足がすくんだのですが、それで銃を持っていたとしたら、きっとその場から動くことができなかったと思います。
ですので、これからカナダへ訪れることをお考えの方がいらっしゃれば、治安が良いとの情報だけを鵜呑みにするのではなく、もしかすると銃などを持っている人がいるかもしれないということを、念頭に置いておくことが大切かと思います。
また、少しでも怖い目に遭いそうと感じましたら、すぐにその場から立ち去ることも大切だと思います。

カナダで不審者がついてくる・・

カナダ

1999年 カナダ・モントリオール

友達とカナダを電車で横断するという旅行をしていた時の話です。
当時は宿泊代を節約するためにユースホステルに泊まっていました。
町を散策するために散歩に出かけたとき、友達が気付いたのですが、ずっと後を付けてくる人がいました。
目的はわかりませんでしたが微妙な距離をずっとつけてくるので、とても気味悪かったです。
日も暮れてきてスーパーに入ったのですが、そこにも入ってきてずっと見ています。
最初はとても怖かったのですが、こんなに怖がらされていることに対して腹が立ってきました。
私の怒りがピークに達しその人に「なぜずっとついてくるの!」と英語で話しかけました。
するとその人はとても驚いてキョロキョロしながら
自分が持っていた袋の中身をゴミ箱に捨て出しました。(何を捨てたのかは確認していません)特に何も言わずただ挙動不審の状態で立っていました。
友達は私のその行動を必死で止めていましたが、私は怒りが抑えきれなくて友達を振り切ってきました。
私が不審者と対話している間、友達は近くのお店の店員に助けを求めに行きました。
店員は私たちをユースホステルまで送ってくれました。
不審者はその後もしばらくついてきていましたが、店員がその不審者を見るといつのまにかいなくなっていました。
特に何かをされたわけではなかったのですが、とても怖かったです。
もし、その袋からナイフや拳銃が出てきたらどうするの!と友達にはとても怒られてしまいました。

マドリッドでひったくり

スペイン

2002年 スペインマドリッド

ツアーでマドリッドに滞在した時の出来事ですが、その日はレストランで夕食を済ませた後、フラメンコ会場へ移動して、フラメンコを楽しむという予定でした。
レストランとフラメンコ会場が近いということで、ホテルからレストランまでは専用バスで出掛け、レストランとフラメンコ会場間の移動は徒歩になりました。
20人くらいのグループで、ガイドさんを先頭に歩き始めて間もなく、正面から歩いてきた3人組の男性とすれ違いました。
グループの一番後ろを歩いていた私は、なんとなく不自然で嫌な予感がし、振り向いてみたところ、その3人組が急に歩く方向を変え、私たちのグループの後ろから付いてきていました。
「早く歩いた方がいいみたいですよ!早く行きましょう!」と他のメンバーの方々にも注意を喚起しつつ、フラメンコ会場へと急いだのですが、ちょうどそのお店の前に到着した時、入り口が狭かった為、グループ全体が少し固まった瞬間に、その3人が私たち目掛けて突進してきたのです。
恐ろしくて声も出ないほどでした。
あらかじめバッグや貴重品などは、出来るだけ持っていかないようにとの注意があった為、ほとんどの方が手には何も持っていなかったのですが、1人の方(女性)の腕時計が引きちぎられ、もう1人の方(男性)の中には何も入っていないバッグがやはり引きちぎられてなくなってしまいました。
その程度の被害で済んだので、不幸中の幸いでしたが、精神的には、かなりショックで、怖い思い出だけが残りました。

カンボジアのタクシーは事前交渉を・・

カンボジア

2009年 カンボジア・シェムリアップ

カンボジアに行った際に詐欺のような事をされて警察を呼びました。
トゥクトゥクという現地のタクシーのような物に乗った際に相場の倍以上の額を請求されてしましました。
私は友達と3人でアンコールワットを見に行く事を目的でカンボジアのシェムリアップに行きました。
ホテルの近くでトゥトゥクのドライバーに話しかけられて、明日の朝から晩まで乗せてくれるトゥクトゥクを探しているということを伝えるとOKしてくれたので、明日お願いしますという感じでその人に頼むことになりました。
翌日、朝5時になると約束どおりホテル前で待機してくれてアンコールワットまで連れて行ってくれました。
そして他の観光地も見ると決めていたので、何時にどこで待っていてと言うとその場所にもいてくれたので信頼していました。
乗っている間もカンボジアについて色々と話してくれたり、基本英語で会話していましたが、時々日本語も話してくれてとてもフレンドリーで良いドライバーだと思っておりました。
しかし、帰りホテルに着いたときに料金を払う際にトラブルが起きました。
最初は3人で15ドル払う言えば、「足りない」と言われその後20ドル、25ドル、30ドル、35ドル、40ドルと上げましたが「それでも足りない」と言われ、流石におかしいと思いホテルのフロントの人に相談しました。
すると相場は20ドルくらいと言われ、こういう手口でぼったくるドライバーも多いよ。
と言われました。警察を呼ぶから待っててといわれ、ドライバーのブラックリストも調べてました。
3人で35ドル払ってその場は解決しましたがフロントの人には前もっていくらって話し合ってから乗った方が良いよと言われました。
朝から晩まで専属タクシーがついて3人で35ドルは日本人の感覚からしてみれば安いですが、今後は気をつけようと思いました。

インド・ニューデリー 白タクで・・

インド

2012年 インドニューデリー

インドで体験した話をします。
2,3年前の話です。私は海外一人旅は初めてでした。
インドを選んだ理由は、沢木耕太郎さんの「深夜特急」の影響で行きたいと思ったからです。
出発前に最初に泊まるホテルを予約しました。
そのホテルは送迎バスつきと書いてあり、私は安心して日本からインドへ向かいました。
当日、ニューデリーのインディラ・ガンジー国際空港に着いたのは午後10時。
そのときまだ最寄の駅まで行く電車が工事で止まっており、動いていませんでした。
しかし、空港に送迎バスが来るとネットには書いていたので、私は送迎バスを探しました。
1時間後見つからず、結局自分の送迎バスはありませんでした。
仕方なく、空港にいた案内人に聞くと
「タクシーがあるからそれに乗れ。」と言うのです。
私が「いくらだ?」と聞きますと、「だいたい250~300ルピー(その当時のレートで、約400~600円ほど)だ。」と答えたのです。
私は、初日だからそういったトラブルもあると思い、致し方なくタクシーを利用しました。
タクシー場に名前を書き、待つこと30分。「come,come」
という男の声が聞こえました。私は自分の番かと思い、彼について行きました。
彼は「どこに行きたいんだ?」と言うので、私はホテルの名前が記載されているメモを見せ、彼は少し首をかしげながら「OK」というのです。
すると彼の周りに人が集まり、なにやらニタニタ母国語で話しているのです。「じゃあ行くぞ」と言い、彼は運転せず、違う運転手が乗り込んできました。
「これタクシーなのか?」私は半分疑いました。
疑う余地もなく、車は走りました。
20分後、急に止まり、彼が言うのです。「タクシー代2500ルピーだ。」と。
私は耳を疑い、250の間違いだと思い、彼に250ルピー渡しました。すると彼は「NO!2500!」と声を荒げて言うのです。
「もし払わないんだったら、ここで降りるか?」と言われ、外を見ると夜中にもかかわらず、車がびゅんびゅんと飛ばし、とてもじゃないけど外に出れません。私がこのインドの街を把握していれば問題なかったのかもしれませんが、初めてでしたのでしぶしぶ2500ルピーを払ってしまいました。
その後、30分が経過していました。気づけば深夜1時です。
すると彼は「着いたぞ。」と言い、見ると自分が予約ホテルとはまったく違うホテルでした。
私は「これは違うぞ!」と声を荒げて言うと、「君のホテルは見当たらなかったんだ、だから俺の知り合いのホテルに連れてきたんだ。ここなら顔が利くから安くなる。」と言うのです。
これがお昼時だったら私は必死に逃げたでしょう。しかし時刻は深夜1時過ぎ。
私は足を震わせながら、そのホテルに行くと7人ほどのインド人が待っていました。
ホテルの支配人らしき男が「ジャパニーズ、1泊2万円だ」と言うのです。私は「そんなの払えない」と言うと、
周りの人が囲み、「この深夜に外を出るのか?デリーの夜は危険だぞ。」と脅すのです。
私は震えながら払いました。
しかしまだ悲劇は待っていたのです。
私が部屋で寝ようとすると、男がついてきて部屋を閉め、
「ここまで送った代金をよこせ」と言うのです。
私は「いや、さっき2500ルピー払っただろう。」と言うと、「あれはお前のホテルを探すためのお金であって、ここまで送った代金は含まれていない。」と言うのです。
私は怒りが心頭し、「NO!Money!You go out!!」と言うと、
彼は私に近づき、「これは俺の街だ。お前は赤の他人だろ?従うのがルールだ。」と言うのです。
私は唖然としました。冷や汗が流れたのを覚えています。

私は2000ルピーほど支払い、彼は去っていきました。
「また明日来るからな。」と言い放ちながら。

私は彼がいなくなった後、足がガクガク震えたことを覚えています。寝ようと思っていても、15分ほどで目を覚まし、彼の最後に言い放った言葉が脳裏から離れませんでした。
時刻は深夜3時すぎ、部屋の窓から外を見ると歩いている人たちがいました。
もしかしたら彼らについていけば、駅につけるかもと思い、私は意を決し、外に出ました。
フロントのインド人に「この時間にどこ行くんだ?」と聞かれましたが、私は無視し、外へ出、歩いている人たちに着いて来ました。
5時間ほどひたすら歩きました。すると駅が見えるではありませんか?私はほっと安堵をし、無事その後インドを旅しました。
これが私の海外旅行で起こった危険な出来事です。

カナダ リュックに注射器・・

カナダ

2012年 カナダ バンクーバー

私は2012年の秋に、1人で短期の語学留学目的でカナダのバンクーバーに滞在しておりました。
その中で起きた危険な事というのは、滞在中にドラック中毒者からリュックサックに注射器を入れられてしまいました。
以前に他の外国に行った事があり、初めての海外という訳ではなかったので特に不安などはありませんでした。
その時は特に危険な目にあったりもなかったので今思うと気が緩んでいたのかもしれません。
バンクーバーではドラッグを使った人が結構いるという話は聞いていましたし、ここのエリアはドラック使用者が多いから近づかない方がいいよとも聞いていたので気を付けてはいたつもりですが甘かったのだと思います。
私が通っていた学校はダウンタウンにあり、その学校から2~3本離れた道路がドラック中毒者が多い場所でした。
学校から近かったですが、普段その人たちはその通路以外ではあまり歩かないので特に問題なく過ごしておりました。
しかし、ある休日に私はどうしても行きたいお店があり、そのお店に行くにはそのドラック中毒者が多い場所を通るか、通りたくなかったらものすごく遠回りをするしかなかったので、一瞬通るだけなら大丈夫かなと思い通ってしまいました。
何も無くお店にたどり着けたので安心したのもつかの間でした。
飲み物を出そうと背負っていたリュックの中身を空けると注射器が入っていました。
あまりにも恐怖で道に捨ててその場を離れました。海外ではこういう事も気をつけないとダメなのだなあと思いました。

サンフランシスコの路地で

アメリカ

2009年 アメリカ サンフランシスコ

友達とサンフランシスコに旅行に行った時の出来事です。
現地に移住中の日本人や外国人の友人が何人か居たので、その子達に会う目的で女友達と二人で遊びに行きました。
サンフランシスコは何度か訪れていますし、ホテルも観光地のど真ん中にあったので、とくに警戒もしていませんでした。
滞在3日目位の夜でした、タイ料理を食べに行こうということになり、今まで行ったことがない地区に行きました。
ちょっと治安の悪そうな地区ではありましたが、昼間は何度も通ったことがある道でしたし、お店の中はとても賑やかで、明るく、みんなで楽しく美味しいタイ料理を食べました。
夜中と言ってもまだ深夜12時前後だったと思いますが、ホテルまで友人と帰るときのことでした。
たまたまその日に限って、いつもは車でアテンドしてくれる友人が車で来なかったため、女友達と二人歩いてホテルまで戻ることになったのです。
友人らは近いけどタクシーを拾えと言いましたが、10分くらいのところなので、歩くことにしました。
しかし、道を1ブロックか2ブロック間違えてしまい、ちょっと迷子になってしまいました。
なかなかホテルにたどり着けづにいると、どこからか黒人の男の人が擦り寄ってきて、何やらずっと話しかけてきたのです、酔っ払っているのか、何を言っているのかさっぱり解らなかったので、相手にせずに早歩きでホテルを探しました。
路地は薄暗く、車も通ってない道でした。ずっとついてくるのでちょっと焦ってきたところ、前方からもう一人、その黒人さんの友人らしき人が現れた瞬間、これはまずいかもと思いました。走り出すことも出来ず、冷静を装って歩いていた時、オフィスらしき建物から自転車を引いた大学生くらいの男性が現れました、私たちはとっさに彼に○○ホテルはどこ?と大きな声で尋ねると、その黒人さんたちはすっとどこかに消えていきました。
今思うと、何されるわけでもなかったのかもしれませんが、あの時は本当に恐怖を感じましたし、自転車を引いて現れた彼がまるでスーパーマンのように見えました。

イタリアのATMでうしろから・・・

イタリア

2013年 イタリア ピサ

毎年イタリアへ個人旅行に行きます。
斜塔で有名なピサには友達がいて滞在中は殆ど一緒に行動しています。
イタリアへ行く時にはクレジットカードと日本円をユーロに両替して持って行くのですが、ある年のことユーロが残り少なくなってしまったので、ATMでユーロをおろそうかなと思って友達に話すと一緒に行ってくれることになりました。
イタリアでは銀行へ行けばセキュリティーはしっかり出来ているのですが、町中にあるATMを使う時はとても危険です。
それは大通り等の道に面した場所にあり囲いなど全くないのです。
すぐ後ろを観光客等が往来しているのです。
日本で言うところの銀行のATM本体がポツンと町中にあるので、暗証番号を盗み見されているような嫌な感じがします。
そして友達に教えて貰いながらカードを使ってお金を引き出そうとしていた時に、後ろから2メートル近い長身の男が私のクレジットカードを盗もうとして手を伸ばしてきたのです。
私が悲鳴を上げて必死でカードを取られないようにして騒いだので周りにいた通行人達も気がついてくれて、その男も諦めたのでした。
今思い出してもぞっとしてしまう恐ろしい経験をしてしまいました。
やはり危険な目にあった時には大声で騒ぐという事が大切だと思ったのです。