クアラルンプールであやしい集団が・・

マレーシア

2014年 マレーシア クアラルンプール

大きなバックパックを背負っていかにも旅行者という格好でマレーシアのクアラルンプールの駅で電車の切符を購入しようと販売機の前で並んでいるときのことでした。
いきなり一人の外国人が自分に近づいてきて、彼が持っていた携帯電話を突然自分の耳に当ててきたのです。
この外国人は英語が話せず、何を言っているのかさっぱりわかりませんでした。
しかししつこく電話の向こうの声を聞くように促してくるために、言われるがままに電話の声を聞いていました。
すると電話で話している人物は非常に流暢な英語で自分に話しかけてきました。
何やら困っているので助けてほしいとお願いしてきたのです。
とにかく指定の場所まで来てほしいとしつこくお願いされましたがそんな怪しい話を信じることはできず、すぐにその電話を持ち主に返してその場を去りました。
しかしその後電話を渡してきた外国人に気づかれずに彼の行動を見ていると、電話を切らずに自分と話をした男性と会話をしていました。
そしてその男性は電話を耳に当てたまま駅の外に向かって歩いきましたが、柱の影から恐らく自分と電話で会話をしていたであろう男性が同じように電話を耳に当てながら出てきたのです。
そしてその後から怪しい男性が数人、その男性に近づいて話をしていました。
何が目的であったのかはわかりませんが、とにかくこの国にあまり詳しくなさそうな旅行者を狙った犯罪集団であることは間違いありません。怪しい人の話しかけられた場合は無視するのが一番であると感じました。

ブリュッセルのヒルトンで・・

ベルギー

2007年 ベルギーブリュッセル

お菓子の専門学校で研修旅行に行った時のことです。
最初の宿泊場所はベルギーのブリュッセルのヒルトンホテルでした。
有名なホテルなので不特定多数の人が出入りするホテルでした。
ホテルの部屋は高級感あふれるものでさすがヒルトンだと思いました。

事件が起こったのはその夜のことです。部屋に一本の電話がかかってきました。
その部屋は私と友人の二人で使っていました。友人は部屋を出ていたので、私が電話に出ました。
電話先は英語で今いち何を言っているのかわかりませんでしたが、電話の内容に対して勘で短く答えました。
そうすると向こうはすぐに電話を切りました。その時はそれだけで終わりました。変な電話だとは思いました。
しばらくしてから恐ろしい事が起こりました。
隣の部屋に何者かが侵入してスーツケースが開けられたのです。物が盗まれはしなかったようですが、もう少しで盗難に逢うところだったと思います。
やはりかかってきた電話は犯人からのものだったのではないかと今では思います。
部屋に人がいるかどうかを確認するための電話だったのではないでしょうか。
私は電話に出て良かったと思いました。
隣は電話に出なかったために留守だと思われ、狙われたのです。
やはり若い女性が多い旅行客は狙われやすいです。

台湾の夜市場にて

台湾

1992年 台北

台北で夜、屋台で夕食を食べることになりました。
その日は一緒に行った人と、台北市民が良く行く安くて美味しい屋台に行きました。

そこで美味しそうな麺があったので、それを注文して、その屋台で食べていました。
すると、見知らぬ中高年の男性が私に声をかけてきました。
中国語で何かを言っていたようでしたが、私は最初、何を言っているのかが理解できませんでした。

しかし、雰囲気でどうやらお金をせびってきているような感じでした。
お金など持っていそうにない、若い日本人観光客にお金をせびるとはどういうつもりだろう、とも思いました。
しばらく無視をして、そのまま食事を続けていましたが、いつまでたっても止める様子がなく、私もどうしたらよいかわからず困惑していました。

すると、一緒に食事を取っていた人が私の様子を見かねて、その男性に何か話していました。
どうやら、お金なんかないよ、というようなことだったろうと思います。

そのうちにその男性は諦めた様子で、私のそばからいなくなりました。
私は一緒にいた人にお礼を言いました。

周りの中国人の人たちも、日本人がカモにされている、いったような感じで私たちをさりげなく見ていました。
日本語を話していて、しかもいかにも旅行者という感じで近づいてきたのかもしれません。

日本人はどこの国に行っても狙われやすいのかも、と思い、非常に怖くなってしまいました。

マドリードでスリ数回

スペイン

2013年 スペインマドリード

8月の夏季休暇を利用して、スペインのマドリードの都市の周辺をリュックサックを背負いながら歩いていた時に知らないうちにリュックサックの中身が無くなっていました。
中身は旅行のガイドやパソコンなどの貴重品が入っていたので、知らないうちに盗難に遭っていた事を私服の警察官から言われました。
盗難に遭っている場面をたまたま私服の警察官が現場を目撃したので、盗難をしたスペイン人を取り押さえてリュックの中身を返してもらった事が良かったです。
マドリードで記念品として商品を買うために財布をジーンズのポケットに入れていましたが、時々私を追いかけて来るスペイン人が気になっていました。
実際に人の多い所でもお金目当てにスリにあっている人を多く見かける事を聞いていて、歩行の際に気をつけていたがが、私が前方に集中している時に財布の盗難に遭った経験があります。
私は都市の周辺を歩く際に2つの財布を持っていたが、幸いにも使い古した財布を盗まれて、中身に入っている金額も日本円で千円程度であったので、被害は最小限に食い止める事ができました。
スペインを旅行する際、人目の多さに関係なくスリなどを防止するために貴重品の管理をいつも以上に気を配る事が大切です。

アメリカで人種差別に遭遇

アメリカ

2010年 アメリカ ロサンゼルス

アメリカのロスだけでは無いと思いますが、自由の国でもあるアメリカでも根強い差別は今だに残っています。
それはアジア系の人たちにも向けられている事もありますし、実際に差別用語や態度であからさまに示された事も何度かあります。
一番思い出に残っているショックだった事は、仲のよかったアメリカ人が誘ってくれたパーティーでの話です。
その友達とは気軽に話せて差別など全くしないような人柄でしたが、いざ向かったパーティー先の家のアメリカ人はそうではなく、またそこに居合わせていた白人だらけの方々も僕が家に入ってきた瞬間に驚きと嫌悪感を示しました。
雰囲気を察知した友達が、すでにパーティーに来ていた方達に「何か問題があるのか?」と突っかかっていきましたがしばらくすると怖い顔で戻ってきました。
そして僕ら2人はパーティーに来て僅か15分程度でその家を後にしました。
実際に友達が運転する車の中で、「アジア人が原因と言われた」と聞いた時には、流石にやり場のない気持ちがこみ上げてきました。
友達も悪くないですし、僕自身も何も悪いことはしていませんが、「これが人種差別か」と生まれて初めて感じる気持ちを体感しました。
3年間の留学生活で行ったパーティーそのものは9割最高に楽しいものですが、残りの1割はこういった体験をする羽目になりました。

アメリカ 言葉、警官、拳銃

アメリカ

1990年 アメリカ ピッツバーグ

今から二十数年前の話になるが、当時僕はとある機会メーカーのエンジニアとして製鉄所関連の機器の試運転でアメリカの鉄鋼の街、ピッツバーグに数ヶ月滞在していた。
職場は市内から少し外れた郊外にあるため、アパートからの通勤にはレンタカーを利用していた。もうひとり同僚が同じアパートに住んでおり、彼が国際免許の交付を受けていたので、運転は専ら彼に任せていた。
ある日仕事が遅くなり、僕と同僚は帰路を急いでいた。
特に急ぎの用事があった訳ではないが、何かと物騒なため暗くなってからあまり外をうろつきたくなかったのだ。
とある交差点で信号を通過したとき、後方からサイレンの音と回転灯の光が近づいて来た。
パトカーだった。何事かと一瞬混乱したが、すぐ納得した。スピードの出し過ぎだった。
路肩に車を止めさせられ、運転していた同僚は事情聴取をするのであろう、社外に出された。しばらく警官と何やらやり取りしていたが、どうもあまり要領を得ないようだった。
彼はあまり英語が得意ではないのだ。彼のフォローをしようと僕は車を降り、警官に近づいた。
後ろの方からだったため、警官は驚いて飛びずさり、反射的に身構え、腰の拳銃に手をかけた。
その様子を見て僕も慌てて怪しいものではないことを示すために身分証を出そうと上着の内ポケットに手を入れた。
瞬間、警官の顔色が変わった。しまったと思った。
正当防衛という言葉が脳裏をよぎった。
撃たれる!大急ぎで掌を警官に見せて両手を上げた。
「違う、違う。今IDを見せるから」と伝えると警官の表情から緊張が消えた。
後で分かったことだが、その警官の相棒がパトカーの中でショットガンを持って構えていたらしい。
アメリカでは迂闊なことをすると犯罪者ではなく警官に殺される可能性があるのだ。

ローマでブレスレットを・・

イタリア

2014年 イタリア ローマ

イタリアのローマにあるトレビの泉に行ったときのことです。
ツアーで観光していたのですが、自由行動の時間にあった出来事です。
トレビの泉にコインを投げてお願いごとをした後、広場近くのジェラート屋さんでジェラートを買って、
そのジェラートを手に持ちながら歩いていました。
すると1人の陽気そうなイタリア人が「ニホンジン!タナカ?ヤマダ?」と言いながら近づいてきたのです。
不審に思い、そのまま通り過ぎようとした所、「マッテ!ワタシ、ニホンゴベンキョウしていマス。ヤキュウはイチロウであってますか?」とさらに話しかけてきました。
爽やかそうな好青年で身なりがキチンとしていたので、ついつい立ち止まって話を聞いてしまいました。
その時、私の左腕の手首にブレスレットをパチンと着けられ、「ニアッテルねー。」と言われ、その場で日本円で三千円ぐらいの金額を要求されました。「ノー!ノー!」と抵抗すると、わけの分からないイタリア語で急に怒鳴りだし、威嚇され、非常に怖い思いをしました。
その様子を見ていた同じツアーのメンバーがガイドさんを呼んで来てくれた為、なんとかお金は払わずに済みましたが、もしガイドさんが来なければきっとイタリア人の気迫に負けて金額を払ってしまっていたと思います。
私の警戒心が足りなかったということと、日本が好きだという彼の言葉に少しでも気を許してしまった自分が悪かったと反省する出来事でした。日本人は人を信じてしまいがちで危機感がありませんが、海外ではまず近づいてくる人を疑ってください。それが安全に楽しく旅行をする秘訣であると思います。

ロサンゼルスでヒスパニック系住民に・・

アメリカ

2013年 アメリカ ロサンゼルス

アメリカのロス市内の繁華街にはなるべく派手な格好で行かないほうが無難です。
特に夕方から夜にかけては危ない場所へと切り替わります。
色んな人種の方がいれば色んな考えの人もいるという体験を何度か味わった事があります。
僕はヒスパニック系の人に後を付けられました。
本気でヤバイと思った僕は全速力で車を止めてあった場所へ走り出しました。
捕まったら何をされるのだろうと内心震えていました。
その体験後しばらくはロス市内に足を運ぶのを避けるほど、トラウマ気味になってしまいました。原因と言える原因は派手めの服装をしていた事と、高価っぽいバッグを手に持っていた事だと今振り返ってみて思います。
そして20代の痩せたアジア人である当時の僕が、1人で薄暗い繁華街を歩いていた事も大きな原因だと推測出来ます。
昔からロス市内は昼間でも治安が悪いと言われていますが、実際の経験をもってして初めて理解させられるのは「愚かだった」と思うほかありません。
この時は本気で命の危険を察知しました。

台湾・台北 美容師が日本に・・

台湾

23年前 台北

台北市に滞在していた時に、美容院でシャンプーとセットをしてもらいに行きました。
2度ほど同じ美容院に行きました。
たまたま担当した美容師さんといろいろ話をしたら、その人はとても日本に興味があるといって、私たちの話を興味深そうに聞いてきました。

その時は特になんとも思わなかったのですが、後日、その人は私たちが滞在しているホテルにやってきました。
どうやら、私たちと一緒に日本に行きたい、というようなことを言ってきました。

私たちはあまりの突然のことにびっくりしてしまいました。
しかし、私たちはそれほど中国語が話せる状態ではなかったので、知り合いの中国人の人に事情を説明して、話をしてもらうことにしました。
しばらく二人は話し合いをしていましたが、ようやく美容師さんもしぶしぶ納得したようで、日本行きを断念したようでした。

あとで、知り合いの中国人の人に話を聞いたら、私たちと一緒に日本へ逃げたいというような感じで、かなり急いでいたらしいということでした。
私はちょっと怖くなってしまいました。
その美容師さんの思惑がよくわかりませんでしたが、日本に逃げればなんとかなると思っていたようです。

そのことがあって以来、美容院へは行かなくなりました。
私にとっては怖い思い出です。

ニューヨークの郊外でブランドバッグを・・

アメリカ

2010年 ニューヨーク郊外

海外旅行で起きた危険なできごとは、格安のホテルに泊まった時でした。
宿泊費を浮かせようと、ニューヨークの郊外の格安ホテルに1人で泊まったのです。

その辺りでは何かと事件が多いところで、ホテルまで行くのにも怪しい人が多くて苦労しました。黒人の人が多いのですが、若い黒人グループが道路にたむろっていて、その間を抜けるようにして行かなければなりませんでした。

明らかに違う人種の私の顔を見ては、ヒソヒソと話しています。嫌な予感がして、そこを走るようにしてホテルへと行くのでした。

その次の日、いつものようにそこを歩いて行こうと思ったら、そこに座っていた黒人グループが私を囲んできたのです。
「うわ、どうしよう」と思っていると、その中の1人が英語で私に怒るように言ってきます。ほとんど英語の分からない私は、「ワッツ?ワッツ?」と言っては逃げる時を狙っていました。

でも、その黒人達は私の紙袋を見ては英語でまくし立てます。
どうも、その紙袋の中に入っているものが欲しいようなのです。
中には5万円もするブランドバックが入っていました。紙袋の文字を見て、ブランド物と分かってしまったようです。

どんどん近くに迫って来る黒人達の迫力に負けて、とうとうその紙袋を差し出してしまったのです。
その紙袋を渡された黒人達は、まるで波が引くように去って行きました。

とても警察に言う勇気もなく、泣き寝入りをしてしまいました。
どうも、後からその場所のことを調べたら、そういった事件がたくさんあるようでした。
事前のリサーチをしておくべきでした。