飛行機が・・・

2010年 韓国 仁川 ソウル

中学生の頃、父に連れられて韓国へ旅行に行ったことがあります。
それが私にとって初の海外旅行でした。
飛行機に乗り、空へ飛び立つ瞬間は今でも鮮明に覚えています。
この旅行では、危険な出来事にいくつか遭遇してしまっているのですが、その内の一つがこの飛行機に乗っている最中でした。
成田空港を飛びたって一時間少々。韓国の仁川国際空港が目前に迫るところで、飛行機が乱気流に突入してしまい、2秒くらいでしたが身体が完全に浮く感覚を覚えました。
その時はすでに着陸前だったので、シートベルトをしていました。おかげで自分が浮くことはありませんでしたが、飲み物などが大量に溢れてしまっていたのを今でも思い出します。
その後は無事に仁川に辿り着くことが出来ましたが、あの宙に浮かぶ感覚は忘れることが出来ません。
二つ目はその仁川からホテルへ向かう最中です。
仁川に着いた時は既に夜になっていて、ホテルへはタクシーを利用してむかうことになりました。
タクシーは高速へ入り、時速100㎞程度のスピードで走行していたのですが、隣の車線をタクシーをスポーツカーが物凄い速さで追い抜いたのです。
タクシーの運転手はその時焦ったのか、ハンドル操作が不安定になっていました。一歩間違えれば、事故を起こしていたかもしれません。
1日で2回も身の安全の心配をすることは初の体験でしたが、韓国旅行自体はとても楽しいものでした。

集団スリ・・

2014年 オランダ アムステルダム

ベネルクス三国にいく海外旅行ツアーに参加したときのことです。ツアーでしたので、添乗員さんもいて、また、現地のガイドさんも一緒に行動していることが多かったですので、ある意味、安心であったはずでした。
ですが、オランダ、アムステルダムの公園で、一見、ごく普通の若い女の子と子ども、と思える集団に囲まれ、財布などの貴重品をとられそうになり、びっくりしました。
そのときは、少しの間自由時間があって、高齢の母と二人で、アムステルダム市内をうろうろして、お土産を探そうとしていました。自由時間が終了したあと、公園のある場所が集合場所になっていたので、その場所に戻ろうとしたのですが、そのとき、若い女の子数人と、腰の高さくらいの背格好の子ども数人に、母がいつのまにか取り囲まれてしまっていました。最初は何か話しかけてきたので、わけがわからず、何?という感じで対応していたのですが、腰の高さくらいの背格好の子どもが、母の持っていたショルダーバックのファスナーを開けようとしていたところだったようです。私もすぐそばにいたのですが、別のことに気を取られてわかりませんでしたけど、そこに、ガイドさんがちょうど通りかかり、日本語で、集団スリで、その子どもはスリです、と大声で言われました。それで母も気づき、私も母のところに駆け寄っていったら、女の子集団はすごい勢いで罵声を浴びせて、散っていき、事なきをえました。相手に日本語が通じなかったことも幸いしました。
オランダは治安が悪いというわけではないのに、やはり繁華街だったということもあって、気を付けないといけないと深く反省しました。

ジェットスキーに傷???

2017年 タイ プーケット島

タイのプーケットに友人4人で旅行をしました。5泊滞在している時にとても危険な出来事がありました。プーケットのビーチには何箇所かジェットスキーをレンタルできるところがあり、そこで友人二人がジェットスキーを1時間借りて楽しんだのですが、ジェットスキーを返却する際に、ボディに傷が付いているので弁償をするようにスタッフに詰め寄られました。

友人はジェットスキーを使っている間、どこかにぶつけた覚えもなかったですし、傷をつけた覚えもなかったのでスタッフに拙い英語で伝えたのですが、貸す前には傷はついていなかったとの一点張りで、とにかく弁償しろと言うのです。ジェットスキーを借りていなかった私ともう一人の友人もその場にいたのですが現地人スタッフの態度もすごく高圧的で最初一人だったスタッフがいつのまにか3人になっていて怖くなってしまいました。

そんな時に、たまたま横をパトロール中の警官が通りかかったので、事の顛末を英語で一生懸命説明したら、スタッフも引き下がりそのまま弁償させられることもなくその場から離れることができました。後から聞けばプーケットではジェットスキーのレンタル時のこういった詐欺のトラブルは後をたたないと知りました。もう少しで10万円近い弁償代を払わされるところだったのですがギリギリセーフでした。やはり東南アジアの国はかなり危ないのだと感じました。

飲み過ぎは・・・

フィリピン セブ島

私は友人3人とセブ島に行きました。何か明確な目的があったわけではなかったのですが、なんとなくバカンスを楽しみたいと思って出かけることになりました。
セブ島についてホテルにチェックインすると、3人ともテンションが上がりきっていたのでお酒を飲みだしていました。そしてそのまま外に飲みに行きました。軽い食事をとり、ホテルの近くのバーで飲んでいたのですが、そこには日本人も多くいたということもあり馬鹿騒ぎしていました。
そして気がついたらホテルのベッドでした。気分はそこまで悪くなかったのですが、昨日の記憶がほとんどありませんでした。部屋を見渡すと私と同じようにベッドで1人友人が寝ていましたが、もう1人の友人が見当たりません。私は友人を起こしもう1人はどこにいったのかと聞きました。
するとその友人も私と同じように覚えていないということでした。心配になって近くを探しましたが見つかりません。どうしようかと途方にくれていた時に友人がホテルに戻ってきました。
その友人は目が覚めたら公園のベンチにいたそうです。そして、有り金すべて失っていて、腕時計も無くなっていたみたいです。
それでもまあ無事でよかったと胸をなでおろし、再び3人で飲み始めました。

やはりリュックは・・・

スペイン マドリード

1人で海外旅行に行く事が夢だった為、その地としてスペインを選びました。当初より、スペインはスリが多いので気をつける様にと沢山の方から言われ気をつけていたにも関わらず、そのスリに遭ってしまったのです。事の経緯は、地下鉄に乗った時の事です。電車に乗ると満員に近いくらい混んでいた為、私は仕方なく出入口付近に立つ事にしました。出発にはまだ少し時間があったと記憶しています。すると、何やら私のズボンが誰かに引っ張られている事に気付きました。最初は気のせいかと思いましたが、やはり引っ張られているのです。なので、私はしばらくの間視線を自分のズボンの裾に落としました。時間にしたらほんの数秒だったと思います。すると、次の瞬間私の頭上を何かが飛ぶのが見えました。そして、電車の外にいた男性がそれをキャッチし、電車の扉が閉まる瞬間に私に向かってそれをまた投げ返したのです。それは、紛れもなく私のお財布でした。中身のお札を全て抜き取られ、空っぽになったお財布だけが私の手元にありました。私は頭が真っ白になり、事の重大さを把握するのにかなりの時間を要したと思います。ズボンの裾を引っ張り、私の注意をそちらにそらした瞬間にスリを働き、扉の外で待機していた仲間のスリにそのお財布を投げ中身を奪う、こんな事は日本では起こり得ないし、想像すらできません。奪われた額は決して少なくありませんが、幸いお金を分けて持っていた為その後の旅行に支障はそれほど出ませんでした。しかし精神的なショックは大変大きな物で、1人で地下鉄に乗るのが怖くて怖くてたまらなかったです。今振り返ると、あれほどスリに気をつける様にと言われていながら、リュックを背負いその中にお財布を入れていたなんて、気が抜けていたとしか思えません。今後海外旅行に行くときは、リュックであれば背中ではなく前に。ショルダーバッグであれば、人混みの中では抱えているくらいの注意力が必要だと勉強させられました。

地下鉄でやっぱり・・

2007年 イタリア ローマ

友人と4人で休みを合わせ、イタリアのローマに
個人旅行をしました。市内では、近距離移動は
タクシーと地下鉄を使う予定で、まずローマのターミナル駅に到着してすぐ、ホテルにチェックインすべく、
日中の地下鉄を利用しようと乗り場に向かいました。

地下鉄は日本と同じく、
けれども日本人の1.3倍ほどある体格の人々によって
構内に入ってきた電車が乗り込むとすぐに
ぎゅうぎゅうの満員電車になりました。

その際、我々も周囲の人々に合わせて
すかさず乗り込んだのですが
ほんの一瞬、わずかな数分ですが
人の波に飲まれて4人がバラバラになりました。

直後、メンバーの一人が日本語で「助けてー、スられたー」
と車内で叫びが上がり、残る3人は取り急ぎ、人ごみをかき分け車内のスペースに場所を取り、騒いでいる一人を呼び寄せて集合しました。

スられたという彼女は、ジッパーがわかりやすく
正面真横についた、いわゆる「盗られやすい」仕様のミニ
バックを持っており、その真横のジッパーは
ぱっくり開いていました。
更に、どのように慰めようかと思いつつ、残る2名に
そちらは問題ないかと聞いたところ、2名のバックの
ジッパーやボタンはしっかり閉まっていたものの、
確認すると中の財布が無い、ことも判明し、目的の駅で
無事下車はでき、盗難以上の騒ぎに巻き込まれることも
なかったものの、我々の旅へのテンションは当然、
一気に急降下することとなりました。

命あってこそではあるものの、旅先での貴重品の紛失は本人に
とって大変な衝撃をもたらすものです。当たり前のことでは
あるのですが今一度自身の備えを真に見直す
必要性を痛感した1日となりました。

カナダでもチャイナタウンは・・・

2012年 カナダ バンクーバー

大学生の頃、私は、カナダのバンクーバーに1ヶ月の短期留学をしました。人生初海外ですが、現地の雰囲気を感じて、自由な生活がしたいという思いがあったので、ホームステイではなく、学生寮のある語学学校に入学することに決めました。
バンクーバーは、2017年の「世界で最も住みやすい都市ランキング」で、5位にランクインする程の治安の良さが評判です。治安が良いとはいえ、毎日の通学時に浮浪者が玄関近くに座って、お金を求めて声をかけてきていました。ただ、こちらが相手にしなければ、全く被害を与えることはありません。
約1ヶ月の滞在で、特に危険に感じた体験は、浮浪者のフリーマーケットに出くわしたことです。3月初旬で寒く雪が降っていた日に、語学学校のクラスメイトの誕生日プレゼントを買いに行きました。
寮から歩いて15分のショッピングモールに向かいましたが、入る道を1本間違えてしまい、気づいたらチャイナタウンにいました。大きな広場には、広場一面を覆うほどの大勢の浮浪者と、所々に黒人がいました。見ると、ボロボロの人形を売っていたり、注射器や粉末の薬を売っていたりしているのがわかりました。
私は、怖くなり急いでその場から立ち去ろうとしましたが、何人かの浮浪者に腕を掴まれ、「stay」と呼びかけられました。私にボロボロの人形を突き付けて、売りつけようとしてきましたが、それを力一杯振り払い、なんとか逃げ出すことができました。
後に現地の友達に聞きましたが、バンクーバーは住みやすく平和な街ですが、チャイナタウンには浮浪者が集められており、危険な場所もあるとのことです。良い評判があったとしても、住み慣れていない海外では、十分に用心して過ごさないといけないことを学びました。

大型の爬虫類

2009年 タイ プーケット島

プーケット島の自然豊かな地域ですんでいたときのことです。
東南アジアではトッケイヤモリという地元の人も恐れる(一度噛みつかれたら死ぬまで離れない)大型の爬虫類が生息しています。
ただトッケイヤモリは大抵は夜から行動し始めますし、民家の近くに来ても外壁に張り付いているだけなので、直接対面することはありません。
ある日のことです。
用事を終えて夜11時頃に帰宅し、玄関のドアを開けるとその拍子に上から何かかたまりのようなものがボトっと落ちて来ました。
よくバラエティ番組のお決まりのコントにあるように、教師役の芸人さんがガラガラと教室の扉を開けた瞬間にあらかじめ扉に仕込まれていたチョークまみれの黒板消しが先生の頭にヒットして粉まみれになる、まさにあの感じです。

電気をつけて確認しましたが、頭には何もついておらず、ドア付近に戻っても何もなく、いたずらするような隣人も思い当たらないので、気にはなりましたがそのままシャワーを浴びて寝る準備をしました。

そのことをすっかり忘れていつも通り階段を登って寝室のドアを開けたその瞬間です。
なんと壁にあの35センチほどのトッケイヤモリが張り付いているではありませんか!
しかもよりによって今から寝ようとしているベッドの枕元の壁に、、です。
建物の外壁に張り付いているのは何度も見ていましたが、まさか寝室の内壁にいるとは思いもよりませんでした。

不幸は重なるもので、ルームメイトは入院中で、地元の人も寝静まっているので誰にも助けを求めることはできません。

泣く泣くトッケイヤモリと一夜を過ごし、翌朝怖がる隣人に頼み込んで追い出してもらいました。

留学中に難癖つけられて

2003年 イギリス ロンドン

当時、留学生ビザで、週20時間まで働けたので、語学学校の後に日本食レストランでアルバイトをしていました。また、韓国人の彼氏とラッセルスクエアというエリアに住んでいました。ラッセルスクエアはホルボーンというハイソな中心街に位置する駅と、キングスクロスというターミナル駅の中間地点にありました。ホルボーンはロンドンのまさに中心街で、家賃も高いハイクラスエリアなのに対し、キングスクロスは栄えているにもかかわらず薄汚れていて、「治安が悪い」と有名なエリアでした。ラッセルスクエアは治安的にも、その両駅の中間に位置するエリアでした。私はある日、バイトで21時ごろにキングスクロス駅でバスを降りました。私のフラットは、ラッセルスクエアよりもキングスクロス寄りにあり、交通の便としても、栄えているキングスクロスに止まるバスはたくさん出ていました。そこから歩いて5分ほどのフラットに帰る道は、街灯があるにもかかわらず薄暗く(イギリスの街頭は日本よりも大概薄暗い)、人気がありませんでした。しかし、ロンドンに来て半年という、「ここの土地にも慣れてきた」という驕りと、「いつもここを通っていても何も起きない」という習慣に対する安堵が、間違いでした。その日は、帰り道の途中にある協会の前で、中近東系の若い男の子たち数人がたむろしていました。ラッセルスクエアのような、セントラルに近く家賃が安めの治安の悪いエリアには、中近東系の移民がたくさん住んでいたのです。私は彼らの前を通らないと、家に帰れません。さすがに怖くなった私は、携帯をいじって、知人とメールをやり取りするふりをしながら彼らの前を通り過ぎようとしました。その時、私の前に一人の青年が立ちふさがり、角材と思しき棒切れを振り上げて私に襲い掛か等としたのです。私はあまりの恐怖に、立ちすくんで、声も出ませんでした。「終わりだ」と思いました。しかし、すぐさま別の青年が彼を止めに、私と彼の間に割って入ってきました。私のつたない英語力でも分かった彼らのやり取りを要約すると、割って入った青年は、角材を持った青年に「やめろ」と説得し、角材の青年は「こいつ(私)が携帯をいじっていかにも自分たちを警戒するのが気に食わない」といったようでした。それをなだめすかし、私に向き合った二人目の青年は「ごめんね、こいつも悪気はないんだ」といったようでした。ことなきを得て、無事に家に帰宅できた私でしたが、翌日から遅くなるシフトの日は、彼氏にキングスクロス駅まで迎えに来てもらうようにしました。どの国に行かれるにしても、慣れてきた頃の安心感が最も危険です。治安が悪いといわれるエリアを歩くときや日が落ちてから歩く時などは、自分を過剰に過信せずに、常に危険と隣り合わせにあると思って行動されることをお勧めします。

大胆不敵 ウエストポーチから・・

フランス・アヴィニヨン

両親と南仏アヴィニヨンへ古い友人を訪ねて旅行した時のこと。
そこまでの旅路でスーツケースが盗難に遭わないよう親子3人目を光らせて緊張して鉄道に乗っていたことから、アヴィニヨン駅についてホームで20年ぶりに友人に再会すると、懐かしさと安堵感から一気に緊張がほどけて、ともに再会を喜び合いました。あまりにも久しぶりの再会だったため、積もる話も山々で、友人も、駅の前に車を停めてるからとにかく行きましょう!ということで、さっそくホームからみんなでエレベーターへ。一人1つ大きなスーツケースを抱えて小さなエレベーターにぎゅうぎゅうに乗り込んだ私たちは、長旅からとにかく到着した安堵感に包まれていて、まさかあんなことが起ころうとは夢にも思っていませんでした。。。車で友人宅について、さっそくお土産を渡そうと父がウエストポーチからスーツケースの鍵を出そうとすると、なんとウエストポーチのチャックが半開きになっている…。「え?」という表情で中を探ると、スーツケースの鍵を入れた財布ごと、スられていたのです。。。列車を降りるときは確実に財布はあったとのことで、どう考えてもあのエレベーターの中でスられたのです。密着したぎゅうぎゅう詰めの狭い空間で、まさかお腹の前につけているウエストポーチから盗むなんてなんという大胆。。そして、体に身につけているから大丈夫というこちらの盲点をついた犯行に一同呆然としました。。。あろうことか父はクレジットカードだけでなく日本の身分証や銀行のカードなど、海外で使うことのないすべての重要なカード類をすべてその財布に入れて持ってきていたので、フランスから国際電話で全てを差し止める手配や、フランス警察への届けなど、途方も無い予定外の処理に追われて大変な旅行となりました。。もちろん現金も。中高年のウエストポーチ信仰には要注意です。。